このシングル曲は、多くの議論の対象となっている。バフはA面とB面の3つのバージョンの録音に参加していたので、彼の回想を紹介する。ザッパのLove Of My Lifeは50年代風のナンバーで、1963年4月にレイ・コリンズとポール・バフが何度もオーバーダビングをして録音した。コリンズは無名のメアリー・ゴンザレスによるバージョンのために彼のヴォーカル・パートをいくつかとり直した。Earth AngelとMemories Of El Monteを繋げたザッパのLove Of My Lifeのバッキング・ヴォーカルはEarth Angelを引用している。後にCruising With Ruben & The JetsやTinsel Town Rebellionのアルバムにも収録されたこともあり、永続的に使われている価値のある曲となった。バッキング・トラックの始まりは、シングルLonely Little Girlのテール・エンドでも使用されている。

 なぜかLove Of My Lifeのロン・ローマン・バージョンのみが使用されている。(この時使われなかったのはAny Way The Wind Blows、Fountain Of Love、悪名高いMasked Grandmaなどの名曲もあった)。エアニはオリジナルのLove Of My Lifeのテープがちょうどそこに置いてあることに気づき、1963年6月にヴォーカリストのロン・ローマンを連れてきてシングルを録音した。ローマンとのレコーディングが行われる前に、エアニは勝手に歌詞の一部を変更し、自分のクレジットの半分を書き加えた。ローマンはこの修正された歌詞を歌い、レイ・コリンズのヴォーカル・パートを5トラックのテープから完全に消去することができなかったため、コリンズのファルセットは最終ミックスに残った。ザッパがこの曲をリリースしようとしなかったのと同様に不可解なのは、エアニがローマンのバージョンをB面と考えていたことだ。Tell Me(A面)はケニー・ウィリアムズ(ロニーの弟)が書いた何の変哲もない曲で、ローマンのダブル・トラック・ボーカルとバフのピアノ、ベース、ドラムがフィーチャーされていた。B面にすべきだったとすれば、Tell Meだった。さらに悪い運命を辿ったのがPlease Tell Me They're Lyingで、この曲のマスターテープは完全に失われてしまった。

 エアニはパルの住所を利用してレーベルを設立した。このレコードは1963年7月下旬にリリースされた後、誰もこのレコードが入手可能であることを知らないほど流通が悪く、ザッパはこのレコードに不満を持った。ザッパはエアニがしたことに不満を持っていたが、2人はカレー&アーヴィンとしてインストゥルメンタル・レコードを制作する際にも一緒に仕事を続けた。エアニは1966年に彼のグループ、シティー・リミッツのシングルOne Look/Dirty WaysでDaaniレコーズを復活させた。両面ともオリジナル・サウンドでバフのエンジニアリングで録音された。ローマンは1963年のデビューから数年の間、再びレコードに登場することはなかった。彼は1967年から68年にかけてGNPクレッシェンドのキャロル・レーベルからザ・ミスティック・アストロロジック・クリスタル・バンドのリード・ヴォーカリストとして2枚のLPを録音し、1969年にはロン・ローマン&ザ・プロポジションとしてドット・レーベルのシングル(I'll Be Your Baby Tonight/Just To Let Rosemary Know)を録音している。

 メアリー・ゴンザレスのLove Of My LifeはGreasy Love Songsでデビューし、3つのバージョンはすべてバフのボックスとダウンロード・シリーズに収録された。バフのリリースではイントロが長くなっている。この時期のザッパの大量の録音は、Why Don't You Do Me Right?、Walkin' Out、Cookin' Turnips(後にSpeed-Freak Boogieとして知られる)、Waltz、Can't Stand Upなどの完成したデモを含むテープリールにまとめられた。

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