1963年6月、アルバム・レコーディングのためにトルネードーズたちをパルのスタジオに呼び戻しただけでなく、エアニはファロスを招待した。エアニは1963年4月にボブ・キーンのレーベル、Del-FiからリリースされたシングルPintor/Rhythm Surferでファロスと一緒に仕事をした。その間にファロスはいくつかの試みをし、ドラマーのダン・ブレイマーを雇ってラインナップを完成させた。エアニの新しいレーベルDaytoneで働いていた頃、ファロスはDel-FiのシングルのB面にちなんでリズム・サーファーズと改名していた。ブレイマーとのラインナップは1ヶ月ほどであたが、このシングルがリリースされる頃にはすでに解散していた。

 エアニはバフが多数のレコード・レーベルを持ち、ライセンスを出す際には同一人物によるものであることが分からないようにしていたことを知っていた。エアニは自分のレーベルDaytone、Ador、Daaniでも同じことをしていたが、さらにジャック・アーヴィンという変名も使った。それで、ザッパがDaytoneからのエアニのリリースに参加した時、ザッパはカレーになった。この2つの名前(カレー&アーヴィン)を合わせると、廃業したニューヨークの印刷会社であるカリア・アンド・イヴス(Currier And Ives)の音に似ていた。

 ファロス/リズム・サーファーズが最初に録音した曲はヴォーカル・ブルース・ナンバーのSteel Wheelsだった。この曲はエアニがトラック運転手の仕事について書いたものである。次に彼らが録音したのは502(Like Getting Pinched On A 502)。スラングでピンチは逮捕を意味している。当時のカリフォルニアでは502は軽犯罪の飲酒運転の警察コードだった。このコードは現在23152となっている。 ダン・ブレイマーは、様々な酔っぱらいの笑い声や叫び声を発し、自由奔放なイントロで502は始まっている。502とSteel Wheelsはアセテート盤に収録された。シングルのB面にはSteel Wheelsよりも別のインストゥルメンタルを使うべきだと考えられ、この曲はボツになり、最後に録音されたBig City Surferに変更された。Big City Surferのギター・メロディは、デュアン・エディのソングブックの低音と、より高い音のサーフ・ピッキングを交互に奏でている。ちなみにDaytoneの両サイドの時間表示は間違っている。それぞれ2:29と2:12のはずだ。

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