DeejayOriginal Sound Recordsのオーナーであるアート・ラボエはドゥーワップとリズム・アンド・ブルースのヴォーカル・レコードの大ファンだった。1959年、オリジナル・サウンドのアルバム・シリーズOldies But Goodiesに続いて、エル・モンテのライヴとそこに出演したアーティストを回想した Art Laboe's Memories Of El Monte (The Best Of L.A.'s Rock And Roll)というコンピレーションを発表した。このLPの裏表紙には、彼のレーベル、StarlaからリリースされたOldies But GoodiesシリーズのVol.1と2を宣伝している。この中には、後のマザーズ・オブ・インヴェンションのヴォーカリストとなるレイ・コリンズがスターラのシングル盤でリトル・ジュリアン・ヘレラと I Remember Lindaを録音していたこの曲はこのエル・モンテのアルバムに収録された2曲のうちの1曲である。もう1曲はジム・バルコムのスターラのシングル盤Corrido Rockである。コリンズはリトル・ジュリアン・ヘレラや Pachuko Hopの作曲で知られるテナー・サックス奏者チャック・ヒギンズと共にエル・モンテ・レギオン・スタジアムでのコンサートに参加していた。Pachuko HopのB面はMotorhead Babyという曲で、もう一人のマザーズのメンバーであったジム・シャーウッドのニックネームの由来となっている。

 ザッパとバフはこの頃以前にラボエに会っており、ザッパがカリフォルニア州オンタリオの西G通り314番地に住んでいた時、コリンズとMemories Of El Monte作していた。ラボエの前でアイデアを練り上げた後、ラボエはザッパとコリンズにドゥーワップ・グループの楽曲を引用することを提案した。そして、1962年8月23日、ザッパとコリンズはラボエの出版部門であるドライブイン・ミュージック社と出版契約を結んだ。

 Earth Angel のリード・ヴォーカルだったペンギンズのクリーヴ・ダンカンは、Memories Of El Monteのヴォーカルを依頼された。解散していたペンギンズはテナー・ヴォーカリストのウォルター・ソールズベリーとオリジナル・サウンドのヴォーカル・グループ、ザ・ヴィセロイズの5人のバッキング・ヴォーカリストをフィーチャーし新生ペンギンズとして復活した。1961年3月、ザ・ヴァイセロイズとチャック・ヒギンズのバンドはDreamy Eyes/Ball N' Chainのシングルをリリースした。Memories Of El Monteでは、フランク・ザッパがバイブを演奏しているが、他のプレイヤーについては資料がない。

 ダンカンはリリース後に公式にザ・ペンギンズを復活させ、2012年に彼が亡くなるまで活動を続けた。ラボエがこのノスタルジックなシングルのプロモーションを行ったにもかかわらず、Memories Of El Monteは全国的なヒットとはならなかった。しかし、地元ではかなりのヒットとなり、このレコードによりラボエ、バフ、ザッパの関係はより強固なものになった。 

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