Vigahレーベルは、どこのレコード会社からもリリース出来なかった。ポール・アンド・ポーラの1963年初期の1位レコード Hey Paulaが風刺の対象となった。Hey Paulaは1962年11月にジル&レイのレーベル、ル・カム(Le Cam)からリリースされ、翌月にはフィリップスから全国流通盤として取り上げられた(アーティスト名はポール&ポーラ)。レイ・ヒルデブランド(ポール役)はアネット・フニセロのヒット曲Tall Paulの好評を得た後にこの曲を書いた。彼の歌のパートナーであるジル・ジャクソンは、この曲でポーラ役を演じた。

 このレコードでは、ザッパとコリンズが、それぞれネッドとネルダを演じた。ネッドがよりポジティブな性格であるのに対し、ネルダはほとんどいつも悲惨な顔をしていた。全体的な効果としては、ポール&ポーラとは対照的な10代のカップルを示すことだった。Hey NeldaはHey Paulaと同じようにオルガンを中心としたバッキングを使用しているが、このヒットの甘いヴォーカルの特徴は意図的に粗っぽくした。バフはこのようなバッキング・トラックを作るのが得意だった。ザッパの特許を取得した60年代初期のドラム・ロールがネッド&ネルダのトラック全体に流れていて、元歌のHey Paulaストレートなドラミングとは違っていた。

 Surf Along With Ned & Neldaでは、1962年1月にドナ・レーベルからリリースされた2部構成のシングル、 ブルース・ジョンストンのDo The Surfer Stompに言及し、風刺を続けている。予想通り、ネッドとネルダはこの曲で終始バトルを繰り広げた。ネルダはザッパのギター・ソロが好きだったが、ネッドとのスタジオでの楽しみがバフのサックス・ブレイクによって中断されていることに不満を持ち始めた。最後のヴァースでネッドとネルダは軌道修正できたが、エンディングの足を踏み鳴らす箇所でネルダはフェードになるまでイライラしていた。ネッド役のザッパは、足を踏み鳴らす間に落ち着きを失うまで冷静さを保っていた。コリンズとザッパは、自分たちが作っているものが完全に不条理なものであることを知っていた。明らかに世間の流行から外れていたこのレコードはVigahレーベルの主力商品とはならなかった。なお、スティーヴ・アレンにインスパイアされたforget itというコメントが両サイドで使われていた。

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