ザッパの遺作となった米国での最初のシングルは、1962年12月にフランクがエンジニアを務めたトルネードの最初のセッションから生まれた。バンドは、リンク・レイ&ヒズ・レイ・メンの2曲:「The Swag」(1958年のランドマークであるケイデンスのシングル「Rumble」のB面)と「Raw-Hide」(1959年のエピックのシングル「Dixie-Doodle」のフリップ)をカバーすることにした。どちらも典型的な3コードのインストゥルメンタル曲で、レイの卓越したギターワークによって、他の曲を凌駕していた。トルネードは最近ジョージ・ホワイトをサックスとパーカッション担当として迎えていたが、これらの曲では彼必要としなかった。両面ともリーダーのジェラルド・サンダースが持っていたパルのアセテート盤にのみ収録されている。

 ザッパはエンジニアとして、リード・ギタリストのロリー・サンダースに、「The Swag」では速弾きを長めに演奏させ鬱積した攻撃性を演出した。それに比べて「Raw-Hide」は、時折演奏を中断させるオーソドックスなインストゥルメンタルである。バンドはこれらの曲を気に入っていたが、どちらもシングル曲としては認められなかった。また、1963年に発売されたアルバム「Bustin' Surfboards」にも収録されていなかった

両タイトルとも、このシングルに先立ち、1999年7月27日にCD「Beyond The Surf - The Best Of The Tornadoes」(Sundazed Music SC 11039)で発売されている。CD「The Charge Of The Tornadoes」(Crossfire Publications 9503-2、2006年7月3日発売)では、最も良い音で聴くことができる。

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